どのように感じるかは自分次第。

生きていれば何かと腑に落ちないことや悲しいこと、悔しいことはありますね。


そのような出来事に対して、どのように感じ、どのように考えるかは

受け止める側にゆだねられています。


私が高校2年生の夏期講習が終わるころ、教師に次のように言われたことをおぼろげながら覚えています。


「おまえはすぐに投げ出すと思ってたけど、しぶとかったな。」


と。


かなり厳しめの先生で、嫌みは言うは、細かな指摘を連打してくるSな先生として

それなりに学生の間では評判でした。


できればこの先生にはかかわりたくない。 というのが生徒の間の最大公約だったわけです。


とはいえ

わたしはこの先生の態度は、自分の目的を達成するには必要なことだと感じていましたので

嫌味とか厳しいとか、あまりおもわなかったのです。


ふりかえれば結構、怒られたし重箱の隅をつつくような指摘を毎日のように受けましたが

おかげで苦手意識を克服できたのでありがたい。とさえ思っています。


社会に出ればなお一層、おかしな人が多々いるものです。

そういうひとの影響を、すべて真に受けていれば身が持ちません。


不条理ないじめや、身に覚えのない攻撃に対しては傷つきもしますし、苦しみもあります。



しかし、それらに対しても「どのように感じ、どのように受け止めるか」は自分次第です。


差別や偏見、勝手な固定概念による誤解を受けることも多々ある人生の中で、


それらに対して「傷つく」ことを選ぶのも、「スルーする」ことを選ぶのも、「差別や偏見と向き合う」ことを選ぶのも・・


すべて自分次第。



人生の主人公はじぶん。


他人の影響、社会の影響をどのように処理するかの主権と選択権は

常に自分にあります。


じぶんの尊厳を大切に。